2011-01-01から1年間の記事一覧

 複線的な世界へ

今日は、font-daさんに勇気をもらったので、書き連ねたいと思います*1。 font-daさんの引く引用は、すべてわたしを深いところで奮い立たせようとします。どれもが納得のいく言葉でした。kayaの問題点もそれへのfont-daさんのすべてその通りに感じました。で…

 ミシェル・フーコー 自己への配慮について

わたしはフーコーという人が大好きです。もうこれは熱狂と言ってもいい。 そのフーコーは、いたるところにひとを主体化せる権力があるということを言うわけです。 これに対して考えるのは、いったい世界に「主体」でないものはあるのだろうか、という問いで…

有用性とartについて

東京新聞7/20朝刊22面にこんな見出しがありました。 「『ブラウン管』でコンサート 「技術と人」問う音色」。 渋谷区でアーティストの和田永さんが旧式のブラウン管テレビを「楽器」に変えて、音楽を奏でるコンサートを行うことに関する記事。 でも個人的に…

永山則夫について

あまりにもじぶんの感情が行き場を失くすとき、じぶんがいまの場所ではないところに行くほかなくなるとき、自分というもののコントロールのできなさや、自分のこの存在があまりにも倦怠でしかないとき、憤りやめぐるめく情念から、倦怠へ。あきらめへ、もう…

「恥辱」について

今日は、またしてもimainatさんのブログに関してです*1。imainatさんのブログは、論理的な文章から、日記的なものまで、雑多に展開しているこのうえなくわたしを触発してやまないブログです。触発する、したがって、わたしはついそれに対して想いが溢れてく…

6/25朝

(有性生殖をする)生命というのは、性的である。性的である、それは性的欲望を、すべて多かれ少なかれ倒錯的な仕方でいかなる「正常」な仕方を伴うことのない様態において、抱え込んでいるという意味で徹頭徹尾性的である。しかし、それが、必ずしも、ドメ…

YとW ――大切なものを失うということ

Yは、いま付き合っている人と別れたいと言う。いつもかつて付き合っていたWさんのことを思い出し、比較してしまうのだという。だから、いま付き合っているAさんのことをほんとうに好きではないのだという。 Yは、Wさんに「おれはWが浮気とかしない限り…

上原美優さんの死に。

上原美優さんが亡くなりました。 パチスロのイベントということで、「(パチスロは)今は、半年に一回ぐらい落ち込んだ時とか何も考えたくない時とかに行きます」と笑顔で語っていた上原だったが、「例えば、今とか…キャラがぶれててどうしようかなって」と…

<食べること>。味わい尽くすこと。

深く味わうこと 深く味わいながら食べること、ゆっくりと味わうことは難しい、がそれでもわたしたちはときにそれを触れることができる。 深く味わいながら対象をじぶんのなかに包摂していくこと。目の前に、いまマドレーヌがあるとしよう。深く味わうこと、…

偶有性から同一性へ? それとも?

さいきん、つとに、気になっていたのは、「たまたまここに存在して有る」(=「偶有性」)についてです。 論理構成を示しておくと、「偶有性」に関して考えるきっかけをあたえてくれたima-inetさんのblogについて(1)、ついで、偶有性に対する姿勢の例とし…

AV、精神分析

北原みのりのインターネットラジオで、ある女性の体験が語られています*1。その女性は、小さいころに性的虐待を受けていたのですが、その女性はいわゆるAVに出演するなかで、「セックスで初めて癒されるものもあった」と語っていると言います。 これを聴い…

暴力をふるうということ。

今朝の毎日新聞に「殺さないで 親権見直し」と題する記事がありました*1。 一言でいえば、母親の「蒸発した」家庭で、父親が、母親の連れ後の姉と、娘に暴力や性的虐待をしていたという記事です。新聞記事の趣向としては、Domestic Violence(家庭内暴力)…

「シュルレアリスム展」

国立新美術館で、2011年2月9日より開催されている「シュルレアリスム展」に行ってまいりました*1。 思想や美術等の歴史性について sur réalとは、「超現実」とも訳されますが、ブルトンの宣言には以下のようにあります。 シュルレアリスム。男性名詞。心の純…

「60年代のリアル」について――歴史への問いと現在への問いを巡って――

あけましておそようございます。 ネタを温めていたわけでもなく、死んだような毎日を送っていました。自分がどこへいくかもわからないような放浪間の只中を。 久しぶりの記事で書きたいことは、「60年代のリアル」についてです。わたしはこのブログでたびた…