2012-01-01から1年間の記事一覧

子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの

子ども叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの いい言葉である。 それは、kitamichi/ ikumichi 来た道/行く道 という語のリズミカルな響きが damono というローマ字表記では伝わらない だらしない感じによって、解消されていく感覚による。 それは、決…

鈴木大介の著作 −−傷付きやすさについて

以前、愛読しているblogでとりあげられていた鈴木大介さんの三つの著作を一気に読んだ*1。家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生 (宝島SUGOI文庫) (宝島SUGOI文庫 A す 2-1)作者: 鈴木大介出版社/メーカー: 宝島社発売日: 2010/10/07メディア: 文…

「ヤコブへの手紙」

「ヤコブへの手紙」という映画を見た。検索したところ、オフィシャルホームページには次のようなストーリー解説が掲載されていた。 模範囚として恩赦を言い渡されたレイラ。12年間暮らした刑務所から釈放されても身寄りのないレイラは、不本意ながらもすすめ…

永山則夫

永山則夫のetv特集を見た。 彼の精神鑑定の内実を、彼の肉声とともに聴き入ることになった。 母に捨てられた子の、 その母もまた捨てられた子で 人を殺した後になって その母を子は許そうとする。 唯一自分に愛情を向けてくれたお姉さんは 子を17で身ごもり…

中国のデモを通して

依然、「尖閣」問題に端を発した中国でのデモについて、すこし触れた記事を書いたことがあるが、今日、習慣読書人の孫歌氏と丸川哲史の対談記事*1を読んで、自分の浅薄さと軽薄さを思い知ったので、改めてここに印しておく。 第一に、まず私が驚いたことは、…

2012年9月26日"The many faces of Muslim rage"

アメリカのとあるアマチュアが撮ったムハンマドを冒涜するような内容のフィルムに対して、イスラム諸国のひとびとが抗議を行っているという。 私の読んだ記事のひとつの指摘がとても面白い*1。それによれば、エジプトでは政府指導の下Muslim Brotherhoodがア…

この世界のあちこちのわたしへ[漫画]こうの史代「この世界の片隅で」――

[rakuten:arcam:10866150:detail] 現在2012年のわたしたちが、第二次世界大戦という歴史的出来事について、もっといえば、1945年8月にこの日本と言う国で起きたことについて、なにがしかの経験をしうるとして、それが単なる道徳的な繰り返し――二度と繰り返し…

2012. 09. 11 フロイトの症例アンナについて

わたしたちは、どうしてこの世に生を受けるのか。なぜ生きているのか。このように人間存在が問うとき、人間存在は、他者のうちに、その答えを求めなければならない。 かつてわたしの母はわたしにあなたがいなければよかったのに、とこぼしたことがある。幼児…

2012年9月3日 賭博について

もうどうしてじぶんでじぶんを追い詰めていくのか、この性格は一生治らないのだろうか。 すべてから逃れるかのようにして、競馬場へ向かう。雨が降っている。 濡れてもいい。 どうしたものだろうか、ひさびさに万馬券が当たって、夜には、くそのようなあぶく…

2012/8/7 カタストロフ(人災)とオリンピック

テレビをつければオリンピックが流れている。かくいうじぶんも、女子サッカー男子サッカーを見ている。 今朝、Japan times weeklyにこんな記事があった。「ボパール事故の被害者たちが抗議のオリンピックを開催する」*1 ボパール事故とは、アメリカのユニオ…

2012年7月28日 共通性? 人権?

*1 「全共闘」と言われるある運動に携わり、その後もさまざまな運動に携わってきている方たちのお話を聴く機会に恵まれた。 その会では、さまざまな運動に関わるひとたちがいて、そこには一見して普通の主婦の方と思われる方だったり、さまざまなひとたちが…

 お墓参り

Tのお墓に行って、お墓を、水できれいに流し、お花を飾り、線香をあげて、合掌する。 Tの実家に行く。Tの両親が迎え入れてくれて、お昼を御馳走になる。ビールを飲みながら、一緒に来た友達と共に、両親と談笑する。Tの写真を見ながら、あれこれ想い出を話す…

2012年7月13日 四日谷敬子の言葉について

きょう、うつくしい言葉に触れた。ある哲学研究者の言葉である。 理解と解釈。それはわれわれ哲学研究に携わる者にとって、ごく身近なことである。今まで目の間に立ち塞がっていた壁が突然消えて、急に視界が開ける、つまり事柄が理解されるということもある…

2012年6月29日 同窓会について

昨晩、高校時代の部活で一緒だった友達から電話があった。同窓会がしたいと。けれども、じぶんがFBにもミクシーにも登録していないから連絡先を知るのにとっても苦労したとか。 ―― つながりたくなんてないでしょ 自然につながっているひととはあんなもんやら…

2012年6月27日 「主体と客体について(3)」

生きていくことの倦怠と、憤りがないまぜになった日々を送っている。 自転車に乗っていて、じぶんの意識内での抑鬱を鑑みるに、言語こそなによりの問題だと改めて思う。 フーコーは、当初はとても「全体化」する議論をしていたのではないか、とそのとき思っ…

 2012年6月17日 「おもふ」ことについて

ありがたくないです僧の話など「死」と「夫の死」は似て非なるもの この墓に夫がいるとは思はねどどこにもいないのでここに来る 藤原成子『真如の月』 農に生き農に終えたる亡き父の背広より出ずパチンコ玉二個 吉原三保子 つくほうしつくつくほうしつくつく…

2012年6月14日 電気料金の値上げについて

東京電力から、電気料金の値上げについての御願い チラシが、アパートに届いた。 たくさん報道されてきたことから周知のように、2006-2010年までの東京電力の利益の69パーセントは、家庭から得ている。家庭への電力供給は、東京電力が供給している電力の38パ…

'Suicide statues' atop Brazil rooftops give fright

*1 ここに一枚の画像は、Antony Gormleyというイギリス人のアーティストが作った彫刻です。 新聞記事には、'Suicide statues'と書かれていますが、Antonyは、この彫像にそんなタイトルをつけたわけではありません。 サンパウロの高層ビルの頂上に置かれたこ…

総選挙について

どこぞやのアイドルが、総選挙なるものを行っているのは、知っていたけれども、たまたまつけたテレビでその模様を見るや、さらには翌日でさえもその映像を見るや、ほんとうにいやな気持になる。 こういう気持ちをこうして表明することは、ヘイトスピーチと本…

 death note 「デスノート」について

2012年5月21日 雨が降っていて、なかなかやむことを知らなかった。 夕方になってようやく雲間から陽射しが射し込んできたが、もはや沈み込むその光だけをのぞかせるためだけにあるかのようにしか思えない。 帰宅して、なぜか読むことになったdeath noteを読…

2012. 5/13 眠ることについて

きょうも一日が終わろうとしている。 それも、眠ることができずに、もはや今日どころか次の日がやってきている。 こんな区別さえも、こうして書き記しているからゆえのことだろう。 眠ることができない日々は、三年前に痛いほど経験していたが、またそんな日…

読むことについて

僕は、およそ自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。僕たちの読んでいる本が頭蓋のてっぺんに拳の一撃を加えて僕たちを目覚めさせることがないとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか? 君の書いている…

死への衝迫について

宮沢賢治というひとや、ジョルジュ・バタイユというひとや、あるいはシモーヌ・ヴェイユというひと、さらには、初期のエマニュエル・レヴィナス、フランツ・カフカといい、わたしが好きになる人たちは、みんな死にたいという想いとの矛盾の中に生きていたひ…

洞窟のなかで

極度に抑鬱的な状態が永遠と続いている。 この洞窟には出口があるのだろうか。 洞窟に生きるひとは、その洞窟に見えている世界が、実は洞窟の外の太陽の陽に照らし出された 陰であるということに思い至らない。自分の思いなしの外へは出ようとはしないのだ。…

13325427122012, 3/24

いたづらに 世界が一定の仕方で秩序立っていて なにひとつ変わることが無いと 放擲したのはいつだっただろう。 つれなくも わたしが習慣的な仕方で 機械的な運動に 身をゆだねてしまったのは いつだっただろう。 雨が降る。 雨が降る。 ただ物質的なただただ…