この世界のあちこちのわたしへ[漫画]こうの史代「この世界の片隅で」――

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 現在2012年のわたしたちが、第二次世界大戦という歴史的出来事について、もっといえば、1945年8月にこの日本と言う国で起きたことについて、なにがしかの経験をしうるとして、それが単なる道徳的な繰り返し――二度と繰り返してはならない――という語を喚起するためのでないとして、いかにして可能であろうか。


 1946年に生を受けたひとがいたとして、その人は2012年のこの現在において、66歳である。10-20歳までのうちに、1945年を経過したひとがいたとして、20歳で迎えた人は86歳である。


 こうの史代が「この世界の片隅で」で描くのは、1945年8月のあのときに、20前後の広島出身の女性の抒情である。抒情とは、すなわち、嫁ぎ先で溌剌とした旦那さんと仲良く暮らす、すずが生きたであろうイマージュであり、そのイマージュの抒情性を形容するために、ここでは用いることにする。


 こうのは、けっして、危機迫った、非常事態としてではなく、たんたんとした日常性のうちに、すずの抒情を描写する。そこでは、幼いすずが嫁にいきそこの家で暮らし1945年の8月を過ごすまでが描かれるが、そこにはけっして、嫁舅問題や、嫁に行くがために恋愛結婚ができないというジェンダー的な眼線でどうしてもみてしまいがちな問題は山積してない。嫁に行き、そこの亭主を好きになり、そこでの家族とも仲睦まじく、ほのぼのと暮らしながら、その延長線上に、空襲と原爆と終戦とがやってくるのである。


 そうした戦争状況の描写の仕方は、当然、NHKドキュメンタリーで描かれるような悲惨な空襲の映像に充ちているわけではなく、それとは大違いである*1


 たとえばこうしたこうのの描写は以下のような見開きページに顕著である。




 ここにあるように、こうのが描写するのは、悲惨さからは程遠いい、一見してコメディタッチとも思えるような、戦争に関する、――現在のわたしたちが戦争を振り返るときには、決して目を留めないような――顕微鏡的なまなざしでみて初めて見出される事細かな事象である。


 非常袋には、御椀に箸に水筒にチリ紙にローソクにカンヅメに下着類、なぜか米2日分を入れておく必要がある。焼夷弾には4種類の「なかま」がいて、たとえばエレクトロン焼夷弾は、テルミットとエレクトロンから成り、添加剤はしかじかのところにあり、発火すると二千ー三千度の高温でまぶしい光を出す、等々。いったいこのようなミクロな情報が、なんになるというのだろうか。


 詩情は、こうした顕微鏡的でつぶさな日常(描写)から浮かび上がるのだ。


 晴美という姪と一緒に歩いているときに、すずは、焼夷弾(?)を食らい、右手を喪う。すずは右手だけを喪い、おさない晴美はそれによっていのちを奪われてしまう。

 
 ここに、なにか悲劇的な叫びがあるわけではない。もちろん、見出せなくはない。しかし、どこかこうのの描くイマージュのうちにあるのは、すずのうちにあるのは、道徳的警告であるどころか、放棄である。諦めである。なんのか。それはおそらく、道徳性やそこからなにかを主体的に学び取ることを促すことの拒否である。自己の放棄である。すずは、じぶんをうち捨てている。


歪(いが)んでいる



昨日 ない事を思い知った右手
六月には 晴美さんとつないだ右手
五月には 周作さんの寝顔を描いた右手
四月には テルさんの紅を握りしめた右手
三月には 久夫さんの教科書を書き写した右手
二月には 鬼いちゃんの脳みそを拾い上げた右手
一月には アルタを取りまくった右手
去年の十二月には 水原さんの手を握った右手
去年の十一月には おねえさんの着物を裁ち間違えた右手
去年の十月には 震えながら引き出しを開けた右手
去年の九月には 周作さんをぱしぱし叩いた右手
去年の八月には リンさんにすいかを描いた右手
去年の七月には 利根と日向と憲兵さんに出逢った右手
去年の六月には こまつなのタネをのせた右手
去年の五月には 楠木公に驚愕して箸を落とした右手
去年の四月には たんぽぽの綿毛を摘んだ右手
去年の三月には ふるさとを描きとめた右手
去年の二月には 初めて周作さんに触った右手

一昨年の暮れには 海苔すきが大好きだった右手
七年前の二月には うさぎをいくつも描いた右手

十年前の八月には すみちゃんのために砂に御母ちゃんを描いた右手

歪(いが)んどる

あれ以来 周作さんとろくに話していない

家が焼けたら出て行けばいいのに

わたしは 死んだひとが転がっていても平気で通り過ぎた

ひとつしか違わんすみちゃん

わかっている

歪んでいるのはわたしだ

まるで左手で描いた世界のように


 いったいこのような世界が、「この」世界であることに気が付くと、見る者は戸惑わざるを得ない。


 この世界の・・・


 この世界のいたるところで死んでいくわたしたちへ。


 この世界のあちこちのわたしへ。





 「この」世界で、見る者は、すずを見越して、すずのまえに燦然と広がる、情景をまなざさざるをえない。まるで、この絵こそがこの世界であるかのように。世界は、「この」世界以外に存在しないかのように。この世界以外を生きることができないかのように。

 

*1:ここで、そうしたドキュメンタリーを批判する意図はないし、そもそもドキュメンタリーとこうのの「この世界の片隅で」で目指すところのものが異なっている。その違いを際立たせるために、そのように述べた。