金原ひとみ『蛇にピアス』

金原ひとみの『蛇にピアス』という小説があります。生の「実感」に関して興味深い体験が、そこでは記述されています。


 いくつか引用してみましょう。


「(...) 私は彼の舌に魅せられた。そう、私は彼の二手に分かれる細い舌に魅せられた。どうして、あんなに強く引きつけられたのか、未だにわからない。私はこの意味のない身体改造とやらに、一体何を見出そうとしているのだろう。*1


 主人公のルイは、アマという男の、二手に分かれた蛇のような舌(spread tongue)に魅了されるところから小説は始まります。生の「実感」において、興味深いのは、ルイは、自分自身もまた身体改造――つまりピアスの穴の拡張や、舌にピアスを入れて最終的に二手に分かれた舌にするという行為――にとりつかれていくという点です。そして、物語が進行し、それが究極的になると、以下のような言葉を漏らすようになります。


今自分が考えている事も、見ている情景も、人差し指と中指ではさんでいるタバコも、全く現実味がない。私は他のどこかにいて、どこかから自分の姿を見ているような気がした。何も信じられない。何も感じられない。私が生きている事を実感できるのは、痛みを感じているときだけだ。*2


 ルイは、シバという男(バイセクシャル)に入れ墨を彫ってもらっていますが、入れ墨にしろ、スプレッドタンにしろ、ピアスの穴の拡張にしろ、身体に手を加えることを共通して意味します。


 ルイの場合、このふたつの引用部からわかるように、単にファッションとして身体に手を加えることに魅せられているわけではありません。また、入れ墨にしても、なにかの信念を刻印するためのものでもありません。
 このような欲求は、人間に固有の性的欲望(極端な例を出せば、動物は、S-Mプレイといった欲望は持ちません)に裏打ちされています。彼らのセクシャリテ(「性行動」と訳されますが、さしあたり、セックスのみならず、このような身体改造も含めた包括的なものを意味して使っています)は、何かの規範にはとらわれていません。「ノーマル」や「アブノーマル」という基準はそこには存在しません。


 登場人物たちが魅了されていくものに――彼らのセクシャリテに――私も当惑させながらも、魅せられていきます。当惑、つまり、理性が働けば、自分自身を抑えつけようとする力が働くのです。ここで、「魅せらる」か否かは、偶然的な要素が含まれてきます。つまり、「蛇にピアス」の中で描かれるイメージに、感覚的にないし理性的に拒否をする人もいますし、また、なにも感じない人もいると思います。そして、それが必ずしもネガティヴなわけではありません。私たちにはそれぞれ、生きている文脈があるのです。そして私たち自身の嗜好ももたそこに働くのです。


 さしあたりいえるのは、このような欲望に、魅了されるのであれば、それを理性で持って制御する必要はないということです。すると、彼らに自分自身がなにか結び付けられたような、根底においてなにか結び付いているような思いにとらわれることもあるはずです。それこそが文学的なcommunicationだからです。


 もし自分の文学体験の外に立って、生きることと感覚的な苦痛について考えるのならば、こう言いたいです。つまり、なぜ“私が生きている事を実感できるのは、痛みを感じているときだけ”なのか?ということです。


 感覚的なものに、そして自分自身の欲望と結びついた形で生の強烈な体験を生きること、それは称揚すべきことです。しかしながら、その“痛みに”依存して(“だけ”になってしまう)しまうことはそれとは分けて考えるべきです。


 私が理性にも道を見つけるべきだと考えるのは、通常、ニヒリズムと言われる事態は、人間の意識の在り方に原因があるからです。人はなにひとつ希望が見いだせないときに、なげやりになってしまいます。理性的にまっとうに生きて行きたくても行けない現状の中、自分自身の理性がその自己にnonをつきつけるのです。もし社会的な環境が原因で私たちの内に実感が見いだせない現状があるのであれば、そこには改善の余地があるし、そこを開いていくべきです。


 他方で、感覚的な痛みだけに、快・苦だけに実感を感じるのであれば、その快苦を感じない瞬間は、どうなってもよくなっていきます。すれば、安易に快・苦を強烈にする薬物に依存していきかねません。
 薬物に依存すること、が意味しているのは、それは人間の不自由さであります。私たちが自分自身の欲望に忠実であるためには、不自由さを抱えてしまわなければならないのか? 決してそうではないと思います。


 他の人から“変態”だとか「倒錯」したとか、常軌を逸したと思われようとも、肉体を改造すること、そして痛みがそこに走ること、そこには強烈な生きているという実感がある。強烈な喜びの体験がある。そう言ってくれさえすればいい。そう思います。

*1:金原ひとみ蛇にピアス集英社文庫、2006,p. 18

*2:同書、p. 87